奄美大島

本店・本部

本店(1階) TEL 0997-57-1160

本部(2階) TEL 0997-52-7111

 本店の所在地・奄美市は、奄美大島の中央からやや北東よりに位置し、鹿児島港から南西へ383km、那覇港から北東へ331kmの距離にある。 亜熱帯植物や蘇鉄が自生する山嶺の東は竜郷町、西は大和村と奄美市住用町に隣接し、南は小湊港をひかえて太平洋に、北は東シナ海に面している。 南国惰緒豊かな港町風景を呈した名実共に奄美群島の政治経済教育文化の中心地である。
 本店は、昭和36年1月、名瀬支店として開設され昭和41年8月、創立10周年を期に本部を瀬戸内町から移転したのに伴い本店に改称された。

 昭和41年4月本部制を設置、同年8月創立10周年を期に本部を瀬戸内町から名瀬市へ移転。
奄美信用組合の統括部門として監督官庁への申請、届出、報告、上部団体、外部団体との折衝等の他、代理業務の取扱い、債権管理、資金運用もその仕事の一つである。
 一方営業本店が積極的に活動できるように業務及び新商品の企画、立案、事務の合理化、営業店事務の後方処理をしており現在3部6課がある。

 令和6年2月に名瀬港町に移転。県道名瀬港線と臨港道路本港佐大熊線の間、都市計画道路末広港線を挟んでファミリーマート港町店の向かいにある区画。鉄筋コンクリート造3階建て(延べ床面積約1600平方メートル)で1階に本店と長浜、小浜両支店を併設する。

小浜支店

小浜支店は、奄美群島の中心地、奄美市に在し奄美の空の表玄関・奄美空港と奄美市中心街を結ぶ国道58号線沿いの名瀬小浜町に位置し、昭和46年6月当組合9番目の店舗、名瀬支店として開設され同年8月、小浜支店に名称変更された店舗である。

奄美市の入口、鰹漁業の町である大熊及びベットタウンの浦上、佐大熊、そして鳩浜、小浜町―帯の建設鉄工自動車など工業の町等から構成される世帯数3,524戸、人口約10,800名の地域をテリトリーとしている。

厳しい経済状況下にあって、60年11月には奄美空港と市街地を結ぶ本茶トンネルの開通及び輪内地区の都計等、公共投資によって周辺地域の開発が進み、世帯数の増加に加えて、61年4月の奄美初の本格ゴルフ場のオープン等によって店舗周辺は著しい変貌を見せており、今後の発展に期待ができる地域である。

永田橋支店

旧名瀬市は、大別して金久地区と伊津部地区に別れますが金久地区は旧市街地として古くから官公署・法人団体・商店街が多く、一方伊津部地区は新興市街区域として基幹産業であります大島紬業の発展と共に栄えてきた街であります。

永田橋支店は当組合4番目の支店として、昭和37年11月、永田橋地区のメインストリー卜である古見本通りに開設され、大島紬の景気を反映して順調に発展し昭和54年6月石橋町に新築移転後、平成25年6月に現在地に移転、現在に至ります。

長浜支店

長浜支店の所在地名瀬長浜町は、当時の名瀬市開発公社による公有水面埋立地で、昭和44年の小浜町、昭和45年の佐大熊町に次いで昭和47年住宅及び商工業用地として造成された新興市街地である。

店周は一般住宅街に囲まれているが、奄美市の海の表玄関である名瀬新港や、警察署をはじめ職安などの官公庁舎、社会福祉センター・老人福祉センター等、さらに奄美文化の殿堂たる奄美文化センター及び奄美民俗資料館が広大な敷地に建設されているほか近年ではレジャー産業関連の進出が目立っている。

長浜支店は当組合12番目の支店として昭和50年12月に開設され、大和村まで含めた広範囲を営業区域としている店舗である。

瀬戸内支店

瀬戸内支店の所在地、瀬戸内町は、奄美大島の南部と黒潮流れる大島海峡をヘだてた加計呂麻島・請島・与路島を含む239.00キロ平方メートルの面積からなり、海岸線に恵まれた風光明娼な水産基地として一時活況を呈したが、過疎化現象が続く中で産業形態も豊かな海を生かした養殖漁業観光地にと変わりつつある。

南国情緒豊かな海洋性に富んだ景勝の地が多く、近年は格好の釣場として、注目を浴び、マリンレジヤー地帯として今後の発展が期待されている。

瀬戸内町の中心街、古仁屋は当組合発祥の地で、設立以来地域に深く根ざし信頼され親しまれる地元金融機関として順調に発展、昭和41年8月本店の名瀬市移転に伴い、瀬戸内支店に改称され、昭和53年の移転新築を経て平成12年12月現在地に新築移転したが、奄美信用組合のメッカにふさわしい店舗である。

笠利支店

笠利支店の所在地、奄美市笠利町は、大島本島の最北端に位置し、東は太平洋をへだてて喜界島に面し南は竜郷町に隣接している。

中央に連なる高岳・大刈山・淀山を境にして東海岸地帯は、ゆるやかな傾斜面となって概して平坦地で畑地に恵まれているところから、砂糖キビやスターチス栽培等が盛況で、大島紬の生産ともあわせて産業経済共に活況を呈している地域である。

また、観光面では国定公園指定地域にふさわしく海浜の景勝地も多いことから国民宿舎の建設等受入体制づくりが進められてきたが、昭和63年に開港した奄美の空の表玄関・新奄美空港のジェット化によって輸送力の大幅な増強と加えて大都市圏との直行便の就航、リゾートホテルが相次いで開設されるなど観光発展に、大きな期待が寄せられている。

笠利支店は、当組合5番目の支店として昭和38年1月開設された。

竜郷支店

竜郷支店の所在地・龍郷町は、大島本島の北部に位置し、西南部は本茶トンネルで奄美市と接続、東北部は奄美クレータの赤尾木湾をへだてて奄美市笠利町に隣接、東南部は太平洋、西北部は天然の良港として知られる龍郷湾を経て東支那海に面した独特の地勢に20の集落からなり、人口約6,000名、世帯数2,500戸を擁する地域である。

大島紬の発祥の地にふさわしく町民の大半は紬関連業に従事し、近代化する業界にあって、独特の龍郷柄を誇りとし民芸品としての評価を高め、また県の指定文化財である「平瀬まんかい」に代表されるように、地域文化の継承保存が顕著な伝統文化の町である。

また教育界に多くの学識者を輩出している人材の町でもあり、維新の英傑 西郷隆盛が3年間遠島生活を過ごし、その住居跡は史跡として保存されている。

竜郷支店は、昭和41年1月、当組合6番目の店舗として浦地区の国道沿いに開設され、昭和58年10月、瀬留玉里団地に新築移転し、敷地面積628.14平方メートルに駐車場を完備した近代的な店舗である。

宇検支店

宇検支店の所在地・宇検村は、大島本島の西南部、奄美市から57kmの地点に位置し、西は東支那海に面し、東は緑深き山嶺をへだてて奄美市住用町、北は大和村、そして南は分水嶺を成して瀬戸内町に接し南海の情熱を秘めた湖水の如き焼内湾を囲んで、14集落人口約1,800人からなる自然環境に恵まれた地域である。

大正6年11月焼内村から宇検村に改称されて以来、79年過疎化の進展が続くなかで村の経済は、林業と建設業依存から農業及び漁業を主体とした地場産業の推進が積極的に図られつつあり、今後の発展が期待されるところである。

宇検支店は当組合最初の支店として、昭和33年8月開設以来50年の歴史を誇り、又村における唯一の金融機関として地域とのつながりも深く、地場産業の育成発展に大きな責務を負う店舗である。

徳之島

徳之島支店

徳之島支店の所在地・徳之島町は、奄美群島を形成する5つの島の中央徳之島の東面に位置し、海の表玄関である亀徳港をひかえて貨物の出入地として活況を呈している町である。 太平洋に面した東海岸は、発達した珊瑚礁に囲まれており、干潮時には沖合い200~300mにわたって広大な地つづきとなって現われる景観は雄大である。

本町の産業は古くから農業を主軸としており群島中最大の広さを誇る耕地面積で砂糖キビを主体にそ菜・畜産との複合経営の農業が営まれているが、近年、更に農家の規模拡大と近代化を図るため大規模な国営農地開発事業が進められており、益々群島における農産物の宝庫の島として展望は明るい。

また、自然の景勝地の島、名物闘牛の島として観光面での浮揚も期待が寄せられるところである。

徳之島支店は、昭和43年1月当組合8番目の支店として開設され平成7年にはゆったりとしたロビーを備えた近代的店舗になった。

天城支店

天城支店の所在地天城町は、徳之島の西北部に位置し、北東から東南にかけて連なる諸峰(天城岳、三京岳、美名田山・井之川岳)の山嶺を、東部は徳之島町、南部は伊仙町と隣接している。

町内14集落のうち当部と三京の2集落が山間部にあるほかは、東支那海に面した海岸線に沿って集落をなしており、人口約6,900人、世帯数2,800戸の砂糖キビを基幹作物とする農業と漁業の町である。

浅間集落にある徳之島空港はジェット空港で、徳之島の表玄関として大きな役割を担っているが、風光明娼な自然の景勝地も数多いことから、今後の観光浮揚に期待が寄せられるところである。

天城支店は、昭和37年1月当組合3番目の支店として開設され、現店舗は昭和55年6月に旧店舗向かいに新築されたものである。

伊仙支店

伊仙町は徳之島の南西部に位置し、人口約6,700人17集落からなり、北部にある標高417mの犬田布岳から南部の海岸線に向かってゆるやかな傾斜面の農耕地が広がり、砂糖キビを基幹作物に畜産、輸送園芸作物などの複合経営の農業で盛況を呈している。

また、夏の海水浴場、キャンプ場として若者に人気のある美しい砂浜の喜念浜をはじめ、島の西南部には一面高麗芝でおおわれた断崖から、雄大な東支那海が一望できる犬田布岬等、自然の景勝地が多いところから観光徳之島として再浮揚が期待されるところである。

伊仙支店は、昭和47年4月当組合11番目の店舗で出張所として開設、昭和51年4月支店となり昭和56年12月現在地に新築移転した。

喜界島

喜界支店

喜界支店の所在地喜界島は、奄美群島5つの島のうち、大島本島の東北、鹿児島から380キロメートル、奄美市から69.1キロメートルの太平洋上に浮ぶ周囲48.6キロメートル、面積56.87キロ平方メートルの隆起サンゴ礁の島で、河川はなく海抜224メートルの百之台が最高峰という概して平坦な島である。

海岸線に沿った湾の集落には人口約7,900名を擁し、町民の大半は砂糖キビを基幹作物とする農業と大島紬製造業を主要産業としているが、遂年経営改善に積極的に取り組む等豊かで活力に満ちた文化と産業の町づくりが進められている。

また、この島は素朴な自然と平家一族源為朝など、ゆかりの地にまつわる伝説民話にいろどられた平和な島で、観光面での発展に期待がよせられている。

喜界支店は、昭和45年6月喜界信用組合と合併後旧店舗地にて営業をしていたが、平成30年3月に新店舗地へ移転した。

沖永良部島

沖永良部支店

沖永良部支店の所在地・和泊町は、鹿児島市の南南西537キロメートルの洋上に浮かぶ沖永良部島(周囲60.3キロメートル、面積93.63キロ平方メートルの東北部に位置し、南部は知名町と隣接し太平洋をへだてて与論島を、また北部は東支那海に面して徳之島が―望できる。 隆起珊瑚礁でおおわれた島の南部(知名町)にある海抜245メートルの「大山」が最高峰の概して平坦な地形は農耕地として、砂糖キビを中心に花キ園芸・輸送園芸・肉用牛・葉たばこ等が栽培され、複合農業経営で活況を呈している。

中でも花キ園芸は、フリージア、ユリの切花出荷・ユリ球根の国外出荷と盛況で、山形県長井市をはじめ富山県礪波市、静岡県下田市とフラワー都市の交流を結ぶ「花の島」として全国的に知られている。

コバルトブルーに輝く珊瑚礁に囲まれた海岸線には自然の景勝地のほか西郷南洲翁上陸の地をはじめ数々の史跡のある島として毎年全国各地からの参加者で人気を呼ぶフリージア・ジョギング大会の盛況とも相まって観光沖永良部はいよいよ脚光をあびつつある。

沖永良部支店は、町当局の熱心な誘致により、昭和55年11月に開設されたが気軽におつき合いの出来る金融機関として、親しまれ業績は着実に伸展している。

知名支店

知名町は沖永良部島の南部に位置し、和泊町同様農業を主要産業とし活況を呈している地域である。ここには沖永良部島で一番高い「大山」があり、海抜245メートルの頂上には昭和46年まで米軍基地があって一時は「米軍の町」として異色を呈したが、自衛隊に引き継がれてから町の様相も落ち着きを見せ島内を一望できる展望台のほか自然休養村の施設が作られる等住民の憩の場となっている。

「花の島」和泊町に対し「昇竜洞の島」を自称するにふさわしく、全長2,200メートルの昇竜洞は規模景観において東洋一といわれ、この他40数個のリムストンプールや滝が連なる「水連洞」のほか総数200~300の大鍾乳洞群がある。

また、田皆岬・屋子母海岸・ウジジ浜等観光面での一役を担う自然の景勝地も多いことから、和泊町主催の花の島沖えらぶジョギング大会への参加人気の高まりで、来島者は年々増加しており今後の観光面に大きな期待が寄せられるところである。

知名支店は、町当局の熱心な誘致による、昭和58年11月開設された当組合の最新店舗であるが、地盤固めも着実に進み業績は順調に伸展している。

令和3年8月2日新店舗へ移転